「ちょっとコピーするだけだから」という言葉ほど怖いものはない
その日、パラドックス氏はいつもより自信満々な様子で相談室のドアを開けた。
「あのね、ZorinOSの新しいユーザー環境を作ってるんだよ。ブログ専用にしようと思って。で、メインユーザーのMozc設定をそっちにもコピーしたいんだけど、フォルダの場所どこだっけ?」
手際がいい。普段は「何から始めればいいですか?」と入ってくる人が、目的を絞って相談に来ている。ZorinOSに本格移行してから数ヶ月、確実に成長している。
「~/.config/mozc/ですね。ただ、コピーするファイルには注意が必要です」※次項で注記あり
「え? 全部コピーじゃダメなの?」
「フォルダの中には『設定データ』と『実行中プロセスが使うファイル』が混在していて、後者をそのままコピーすると誤作動の原因になります。コピーして良いのは3つだけです」
| コピーしてOK | 内容 |
|---|---|
config1.db | 句読点・キー配列などプロパティの本体 |
user_dictionary.db | ユーザー辞書 |
.history.db | 変換履歴・学習データ |
「残りのファイル、特に.server.lockや.session.ipcや.encrypt_key.dbは触らないでください」
「わかった! じゃあさっそくやってみる」
この会話が行われたのは、午前中のことだった。
午後の急報
数時間後、パラドックス氏から再び連絡が来た。今度は弾んだ声ではなかった。
「Mozcプロパティが消えた。プロパティ設定全滅。( ≧Д≦)」
「……コピーしたのはどのファイルですか?」
「全部」
予想通りだった。しかし責める気にはなれなかった。相談員として伝えきれなかった部分もある。何より「全部コピー」のが手っ取り早く見えるのは、人間として自然な判断だ。
フォルダの中を見せてもらうと、見覚えのあるファイル群が11個。問題のserver.lockもsession.ipcもencrypt_key.dbもしっかりコピーされていた。しかも、NASを経由してコピーしたためか、.encrypt_key.dbなどにはNemoのファイルマネージャー上でロックアイコンが表示されていた。「これは怪しいと思ったんだけど」とパラドックス氏。そう、思った段階で立ち止まれていれば、この後の悪夢は来なかった。

~/.config/mozc/の内容復旧自体はシンプルだった
ロックファイルの扱いを説明した。
「.server.lock、.session.ipc、.encrypt_key.dbの3つは、Mozcサーバーが起動するたびに自動で作り直すファイルです。別のユーザーのものをコピーしてきても意味がない、それどころか新しいMozcサーバーが『あれ、自分のじゃないロックがある』と混乱する原因になります」
対処はシンプルだった。
- ブログユーザーでログアウト
- ログアウト中に、コピーしてきた3つのロックファイルを削除
- 正しい3ファイル(
config1.db・user_dictionary.db・.history.db)を改めてコピー - 再ログインしてMozcサーバーに新しいロックファイルを作り直させる
「プロパティ復旧しました!」
ロックファイルはログイン後しばらく経ったらちゃんと自動生成されてた。これは一見落着」
ここで終われば、「失敗から学んだ小さな話」で収まっていた。しかし相談室というのは、一つ片付いたと思ったら次が来る場所である。
タスクバーからIMEアイコンが消えた
プロパティ復旧の報告に続けて、パラドックス氏からもう一つ異変が伝えられた。
「Eisuキーでのオンオフが不安定。タスクバーのMozcアイコンも出てない。あと、Fcitx5の設定を開いたら全項目が消えてた。デフォルトで戻そうとしたけど戻らない」
状況が急展開していた。「プロパティ復旧」の陰で、Fcitx5の設定UIそのものが崩壊し始めていたのだ。しばらく待ったら一部項目は戻ったというが、今度は入力メソッドのリストを確認すると、こんな項目が紛れ込んでいた。
「キーボード – 日本語 – Japanese (Sun Type 7, PC-compatible)」

Sun Type 7。それはSunワークステーション用の特殊なキーボード配列だった。誰も使っていないし、使うはずのないレイアウトが「現在の入力メソッド」として登録されていた。これが、CapsLock(パラドックス氏はEisuキーの代わりに使っている)を押すたびに、MozcとSun Type 7キーボードを交互に切り替えてしまっていた原因だった。
「削除します。そして正しい並び順にしてください」
修正後の構成:
- キーボード – 日本語 – 日本語(OADG 109A)
- Mozc
「わかった、やってみる」

沼の入り口
ここから先が、この案件の本当の難しさだった。
Sun Type 7を削除して「入力メソッドのシステムレイアウトを変更しますか?」というダイアログに「Yes」と答えた瞬間、何かが変わった。
変わったのは悪い方向だった。
再ログインしても、CapsLockが無反応のまま。タスクバーのIMEアイコンは戻ったが、何を押しても切り替わらない。Ctrl+Spaceすら効かない。fcitx5-remote -tというコマンドで直接Fcitx5を叩けば切り替わる。でも物理キーは完全に無反応。
ターミナルを駆使した。ps auxでプロセス確認、libinput debug-eventsでキーボードイベントの生ログ、evtestでカーネルレベルのキーコード確認、gsettingsでGNOMEのXKBオプション確認、fcitx5-diagnoseで診断ツール実行……。
どこを見ても「正常」の文字が並ぶ。Fcitx5は動いている。Mozcアドオンは読み込まれている。環境変数も正しい。KEY_CAPSLOCK (code 58)はカーネルまで届いている。なのに、Fcitx5には届かない。
「これは設定の問題じゃないかもしれない」
そんな疑念が出始めた頃、思いがけない手がかりが現れた。
ps aux | grep fcitx5hikosama 11433 ... /usr/bin/fcitx5 -d
hiko 46188 ... fcitx5 -dパラドックス氏は同じPC上で複数のユーザーを同時にログインさせていた。画面上に見えているのはブログ用のhikoユーザーだが、メインユーザーのhikosamaは別セッションで起動したまま生きていた。そしてそのhikosamaのFcitx5プロセス(13:51起動)が、hikoのFcitx5(14:42起動)より先にキーボードのグローバルグラブを取得していた、という仮説が浮かんだ。
「hikosama側のFcitx5を止めてみてもらえますか。自分しか使ってないはずなら止めても大丈夫ですよね?」
「うん、それは大丈夫」
sudo kill 11433 でhikosamaのFcitx5を停止した。
……変わらなかった。
仮説は外れた。
Fcitx5の設定を全消去しても変わらない
ここまで来ると、相談員として正直に認めるしかなかった。「設定をいくら調整しても変わらないなら、設定そのものが原因じゃないかもしれない」。~/.config/fcitx5ごと退避させて、Fcitx5に完全にゼロから設定を作らせた。
mv ~/.config/fcitx5 ~/.config/fcitx5_old_20260623
fcitx5 -d &デフォルト設定で起動した。CapsLockを押した。
無反応。
「これはもう手詰まりです。でもCtrl+Spaceなら動くので、当面はそれで運用しましょう」
パラドックス氏の返事は案外あっさりしていた。「まあ仕方ないか」。そう思ったのもつかの間だった。
解決は、意外なところにあった
しばらくして、パラドックス氏から連絡が来た。
「直った。Fcitx5のグローバルオプションをhikosamaと同じにしたら直った」
「どこが違ったんですか?」
スクリーンショットを見ると一目瞭然だった。
変更前(ブログ用ユーザーの状態)
- 入力メソッドの切り替え:Control+スペース/全角半角/ハングル(3つも登録)
- トリガーキーを押すたびに切り替える:オン
変更後(メインユーザーと同じ構成)
- 入力メソッドの切り替え:(空)
- 入力メソッドを有効にする:英数トグル
- 入力メソッドをオフにする:無変換
「……これがFcitx5のデフォルト設定なんです?」
「そうみたいや。新規インストールだとこうなってる」
つまり、Fcitx5を新規ユーザー環境でセットアップすると、最初から「英数トグル」は入っているものの、「Control+スペース」「全角半角」「ハングル」なども混在した状態になっている。メインユーザー(hikosama)はいつの間にかこれを整理していた。ブログユーザーはそれをせずに使い続けていた。その差が、今回の「同じ設定ファイルをコピーしたのに動きが違う」という謎の正体だった。
相談員のひとりごと
今回の件を振り返ると、最初の原因は明快だった。「コピーしてはいけないファイルをコピーした」。それだけだ。
ところが復旧作業の中で、もともと潜んでいた別の問題(Sun Type 7レイアウトの混入、Fcitx5グローバルオプションの不整合)が次々と表に出てきた。最初のミスがなければ、どれも気づかずに済んでいたかもしれない問題だ。
Mozcの~/.config/mozc/フォルダの中身について、改めて整理しておく。
| ファイル | 正体 | コピーの可否 |
|---|---|---|
config1.db | プロパティ・キー配列・ローマ字テーブルの本体 | ✅ OK |
user_dictionary.db | ユーザー辞書 | ✅ OK |
.history.db | 変換履歴・学習データ | ✅ OK |
.server.lock | サーバー起動時に作るロックファイル | ❌ NG |
.session.ipc | プロセス間通信用ソケット | ❌ NG |
.encrypt_key.db | 変換履歴暗号化用の鍵 | ❌ NG |
そしてFcitx5を新規ユーザー環境にセットアップした際は、グローバルオプションのホットキー構成を既存の正常動作環境と比べて確認することを、強くお勧めする。デフォルトのままでは、想定外のキーが複数割り当てられていることがある。
パラドックス氏の最後の一言が、今回の教訓を一番よく言い表していた。
「最初のケアレスミスさえなければ、こんな泥沼にならなかったのだ」
……その通りである。
証拠はここにあるが武士の情けでみえなくした

相談員のひとりごと(補足)
今回の一件は、うちの相談室が「地道な切り分け作業の連続」になる典型的な案件だった。ターミナルで確認したこと、試みたこと、外れた仮説の数を数えると、それだけで小冊子が一冊書けそうな量になる。しかし大半は「違った」という結論しか出なかった。
スカッと解決する日があれば、こういう日もある。相談室はそういうものだ。
それにしても、最終的な解決が「グローバルオプションをメインユーザーと同じ構成に揃えた」という、地味といえば地味な操作だったのは、少し笑えた。何時間もかけてカーネルレベルのキーイベントを追いかけた末に、たどり着いたのがFcitx5の設定画面の比較だったのだから。
「懲りずに考え直した」というパラドックス氏の言葉が、今回の一番の功労賞だと思っている。
せやな(^。^)








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